巡縁記その2・・・野沢温泉村、合併の危機
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1995年の合併特例法の施行から始まった平成大合併。御多分に漏れず、野沢温泉村でも様々なドラマがあった。
そして今回、その頃の事を住民から直接伺う機会を得た。
2004年5月 | 野沢温泉村の合併の是非を問う住民アンケートの結果「必要(19%)」「どちらかといえば必要(20.2%)」「どちらかといえば必要ない(20%)」「必要ない(36.4%)」 |
2004年12月26日 | 野沢温泉村の合併の是非を問う住民投票の結果「賛成(45.5%)」「反対(54.5%)」 |
一言目、「合併しないでホント良かった」
当時、村長始め、村の幹部は合併推進派だったが、女性を中心とした村民運動が盛り上がり、合併を食い止めた生々しい歴史を語られた。
飯山市と合併すれば、議員も出られず、予算も振り分けられなくなる、色々な学習を積んだ結果だという。
村の名前も、最終的には飯山野沢温泉市とそれぞれを残す案に落ち着いたが、それでも、長い長い村の文化、築きあげてきたアイデンティティが失われてしまう思いがしたという。
スキーブームが去り、民宿の数は減ったけれど、最近はオーストラリア人を中心にインバウンドが増えて活気づいているという。
逆に、村の資源が外国人に買収される危機も現実的にあったようだ。
この先も、時代は巡り、自治の在り方も変容していくだろうが、住民投票までして自分たちの「邑社会」を守った経験は、永遠に記されていくだろう。
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